読み書き

本を読んで、血となり肉となるようなことがありました。ものを書いて、いろんな人との出逢いがありました。

遠藤周作「沈黙」と孔子の「論語」

 2晩で一気に読んでしまえるすごい本であった。
 昔々、ここ日本ではキリスト教を禁じていた。(「踏み絵」の時代)
 その頃、布教のためにはるばる来日を果たした宣教師の話。

隠れキリシタン」と呼ばれた日本のクリスチャンたちは、当時拷問を受けたり殺害されていた。
 当然宣教師たちも同じ辛苦をなめることになる。その拷問や、日本人キリシタンが残酷に殺されていくさまを見て、「転ぶ」宣教師たちが多かった。転ぶ、とは、キリスト教徒であることを辞めること。

 重く厳しいテーマだけれど、遠藤周作はさすがにうまい。この作家自身クリスチャン。
 きれいな心をもち、信仰厚き人々に、なぜ神は黙っているのか。なぜ何もされないのか。
「沈黙」というのは、神の沈黙。

 僕は宗教をもっていないけれど、この作品はそういった信心の有無に関係なく、人間のかなしさのようなものがとても分かり易く描かれている。

 孔子の「論語」を今読んでいる。これも、非常に分かり易い。分かりにくい、と感じる時は、自分の価値観と本の訴える価値観が異なる時である。

 だからなるべくまっさらな気持ちで向かい合えば、自分の中にスッと入ってきてジッと沁み入ったりする。
 孔子のいう「友達」とは、「同じ志をもってその道を歩み、自分に利をもたらしてくれる者」である。(ちょっと僕なりの異訳も入っちゃってるけど)

「沈黙」をくれたのも「論語」をくれたのも、現在居住的に近くから離れてしまったMさんである。
 彼は、やはり社会的な差別を受けたり「弱者」と呼ばれそうな人たちの人権を守る、というような活動に力を入れて生きている。

 孔子のいう「同じ志をもつ」、いわば僕にとって同志みたいなものである。

 志、というものをつくるのは、自我。その自我が向かう方向と、同じような方向へ向かう人と交流がもてることが、ほんとうにありがたく感じる。
 そういうところからでないと、ほんとに「友達」はでき得ない気さえするのである。

高野悦子が生きていたら

二十歳の原点」を何年ぶりかで読む。1969年に、鉄道自殺した女子大生の日記。全共闘、民青、いわゆる学生運動の時代の、息吹のようなものは、とても感じる。その日々のこと、誰かを好きになったこと、自分とは何かということも、克明に描いていると思う。この本は、やはり好きだ。


 しかし、どうしても気になる。この人が、自殺していなかったら、この日記は本にならなかったろう、ということが。
 読んでいても、その自殺に至るまでの過程、として読んでしまう。ぜんぶの言葉が、自殺に吸引されてしまう。だから惹かれるのだけれど、こういう心、精神をもって、しかしそれでも生きていたとしたら、と考えてしまう。自殺という結末があって、初めて惹かれる、そういう読み方しかできない。

 今も生きていらっしゃったら、と思わずにはいられない。自殺という選択をした高野さんの、悲しみばかりが心に響いてしまう。芥川龍之介の、「自殺者の心の遍歴を克明に描いたものがあるなら、読んでみたい」といったような願望は、この「二十歳の原点」でひとつ、満たされるのではないか。
 自殺者は、その理由は各々違うように思われるけれど、死に向かおうとする心は同じだ。


 椎名麟三が映画製作に関わった時、スタッフたちと「自殺の動機」について埒のあかない議論が交わされたらしい。椎名さんは、「いいんですよ、自殺の動機なんて、何でも」というのに対し、製作スタッフは納得しなかった。警視庁か何かの統計によると、病苦と貧困が一番多いらしいから、「じゃ、これにしますか」と言っても、納得しない。観客に、説得力のある自殺の動機でなければいけないという。

「下駄の鼻緒が切れて、自殺したくなった」という動機でもいいんですよ、と言うと、あきれられた。
 でも、自殺の理由なんて、何でもいいんだと私も思う。肝心なのは、死に向かってしまう心で…


「2万円の借金のために自殺した人には同情できない。恋愛のために自殺した人には同情する」という人もある。どうでもいいではないか。万人が納得する、説得力のある自殺なんて、あるわけがない。


 しかし映画はとにかく客に納得のいく理由を打ち出さなければならなかった。結局、ヒロインが有名な女優さんだったので、その人に合わせたイメージで、動機をともかく作ったらしい。

 この「ヒロインに合わせて自殺の動機を作る」は、そのまま、高野さんや、自殺をしようとする人に、あてはまるような気がする。
 誰でも、自分の人生では、自分が主人公だ。生きる理由も死ぬ理由も、その舞台上にある自分自身によって、その意識によって作られる。


 この社会の中で、どう生きるか、どう生きて行ったらいいのか。それをよく、よく書き記した言葉が連なっているのが、「二十歳の原点」であるとは思う。しかし、やはりどうしても、どうして死んでしまったのかという、やりきれない気持ちだけが大きく、読む私に迫ってくる。このまま、そのままのままで、この人が生きてくれたら、もっと魅力的に…ならないだろうか。とにかく私には大切な、捨てたくない一冊だ。