読み書き

本を読んで、血となり肉となるようなことがありました。ものを書いて、いろんな人との出逢いがありました。

2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧

大学とは何だったのか

「二十歳の原点序章」を読み始めた。立命館大学に入った高野さんが、部落問題研究部に入ったところ。 ここ奈良にも、何やら「部落差別」の場所があるらしいが、特に知りたいとは思わない。そんなの意識することが差別になると思うし、どこで生まれ育とうが、…

白夜

ドストエフスキーの「白夜・おかしな人間の夢」(光文社文庫)を読んで考えること。 … 己を愛するが如く隣人を愛する、これを実現したのはキリストだけであったということ。 個我から無我になるということ。 他者を愛そうとして、自己より他者に重きを置くこ…

三島由紀夫

私は、この人の著書よりも、この人自身に興味をもつ。「悲劇を演じたいのだけれど、わたしがやると喜劇になってしまう」と、自分を言った、三島由紀夫。 何かになりきろうとしていた、プロレスラー的な人だったような気がする。 その最期は、精一杯の演技の…

芽むしり仔撃ち

どうして大江健三郎は、こんな文章を書けるのだろう? 最終章で、ぼくは涙が溢れた。主人公の「ぼく」が、自分と重なったのである。 この小説、昭和44年の作品である。 時は戦時中。感化院の少年たちが、疎開しながら、村から村へ、教官の指導の下に、移住を…

遠藤周作「沈黙」と孔子の「論語」

2晩で一気に読んでしまえるすごい本であった。 昔々、ここ日本ではキリスト教を禁じていた。(「踏み絵」の時代) その頃、布教のためにはるばる来日を果たした宣教師の話。 「隠れキリシタン」と呼ばれた日本のクリスチャンたちは、当時拷問を受けたり殺害…

高野悦子が生きていたら

「二十歳の原点」を何年ぶりかで読む。1969年に、鉄道自殺した女子大生の日記。全共闘、民青、いわゆる学生運動の時代の、息吹のようなものは、とても感じる。その日々のこと、誰かを好きになったこと、自分とは何かということも、克明に描いていると思う。…

「夢十夜」

「自分はつまらないから死のうとさえ思っている。──(中略)── 自分は益々つまらなくなった。とうとう死ぬことに決心した。それである晩、あたりに人の居ない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが── 自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹…

キルケゴール… つきつめた人

あなたの頭は、いっぱい働いた思索を重ね、思索を重ね「もう、休みなさい」と死が訪れてくれたのかもねみんな、自分の死を他人の死のように思っているのにあなたは自分の死期を定めそれまで、一生懸命、生きようとした。それが、あなたの著作だったいのち、…

つまり

宗教は、贖罪のための気休め。人心をつかんで離さない、大きな役割を果たす。慈善活動と呼ばれるものの、主体者にも、どこか心の動き、似たような気配がないでもない。日常の些細な罪も、「祈る」こと、「善行」をすることで、気持ちが楽になる?そのときの…

ニーチェの精神(2)

ツァラトゥストラの生き方。「私は偉大である。この偉大さを理解する人間は、下界に望めない。掃いて捨てるほど、つまらない者に埋まっている下界。私は、その中で私の偉大さを霞めない。私は、あまりに偉大すぎる」「私の滅亡は、人類の滅亡を意味する。私…

ニーチェの精神(1)

路上で「死んだようになっていた」彼は、自宅に運ばれ、まる二日間、昏睡した。 目が覚めた彼は、以前の彼ではなかった。歌を歌い、妙な言動を始め…ワーグナー夫人や友人に奇妙な手紙を送った。異常を察した神学者の友人が彼のもとを訪ねた。彼を見たニーチ…

「荘子」大宗師篇、その十三

子桑戸しそうこ、孟子反もうしはん、子琴張しきんちょうの三人が、たがいに友となろうとして、語りあった。「おたがいに無関係でありながら、しかも関係をもち、相手のためにしないで、しかも相手のためになるような人間はいないものだろうか。 人為を離れて…

「荘子」大宗師篇、その十二

こんどは、子来しらいが突然、病気になった。 息もあえぎあえぎのありさまで、今にも死にそうである。 その妻子は子来の周囲をとりまき、泣きわめいていた。 そこへ子犂しりが弔問に来たが、このありさまを見て言った。「しっ、あっちへ行きなさい。造化者を…

「荘子」大宗師篇、その十一

子祀しし、子輿しよ、子犂しり、子来しらいの四人が、あるとき語り合った。「だれか無を頭とし、生を背とし、死を尻とすることができるものはないだろうか。 死と生、存と亡とが一体であることをさとるものはないだろうか。 もしあれば、友だちになりたいも…

「荘子」人間世篇、その十四

匠石しょうせきは家に帰った。 すると櫟社れきしゃの大木が夢の中に現われて、告げた。「お前は、わしを一体何に比べようとするつもりかね。 わしを役に立つ美しい木に比べようとでもするつもりか。 それなら言ってやろう。 すべて柤こぼけ・梨なし・橘たち…

「荘子」人間世篇、その十三

大工の親方の匠石しょうせきが、斉せいの国に旅をして、曲轅きょくえんという土地に着いた。 そこで櫟社れきしゃという社やしろの神木になっている櫟くぬぎの大木を見た。 その大きさは牛の群れを覆い隠すほどであり、その幹の周囲は百抱えもあり、その高さ…

荘子

荘子は「死の哲学者」と呼ばれていた。かれは、死を嘆き悲しむようなことは、けっして書かなかった。生きることばかりがヨシとされ、死ぬことが疎まれることを、「片手落ち」と判断していた。そう、死あっての生、生あっての死、どちらかが欠けてしまえば、…