読み書き

本を読んで、血となり肉となるようなことがありました。ものを書いて、いろんな人との出逢いがありました。

荘子

 荘子は「死の哲学者」と呼ばれていた。かれは、死を嘆き悲しむようなことは、けっして書かなかった。生きることばかりがヨシとされ、死ぬことが疎まれることを、「片手落ち」と判断していた。そう、死あっての生、生あっての死、どちらかが欠けてしまえば、それはもはや生命ではないのだ。

 仏教が中国に入った時、中国人はその輪廻思想を大歓迎したという。「何回も生まれ変われるなんて、素敵なことだ」と。
 インドには「生きるのは苦である」とする土壌があったから、輪廻に対して畏敬的・敬虔的な態度があった。だが、中国にはそれがなかった。死は、忌み嫌うべきものとする民族性の中で、荘子はかなり異端の存在だった。

「日本人も、なかなか荘子を受容できないだろう」と言ったのは、日本人初めてのノーベル賞学者、湯川秀樹だった。勤勉勤労をヨシとする、きちっとした気質のジャパネーズには、荘子の哲学は容易に受け入れられぬだろう、と。

胡蝶の夢」は有名な話だ。
 夢の中で、荘子は胡蝶だった。だが、目が覚めれば、胡蝶ではなく、荘子自身であることに気づく。
「胡蝶が、私の夢を見ていたのだろうか。それとも私が、胡蝶の夢を見ていたのだろうか。私には分からない。けれども、私と胡蝶とでは、確かに区別があるはずだ。なのに、区別がつかないのは、どうしたわけか。
 それはほかでもない、これが変化というものなのだ」

 荘子からすれば、「変化」を「私」が「私」に見ただけであった。