頭部に異常な瘤をもって生まれてきた赤んぼうの死を望み、女友達の部屋に入り浸り、セックスとアルコールとアフリカへの夢を抱いて数週間を過ごした主人公の話。
ああ、きっと主人公は最終的に、この赤んぼうを殺すことをやめ、引き受けて生きていくんだろうな、という推測どおりの結末。
忍耐と希望。必要必須。
大江の本、新潮文庫で7冊目を数えれば、どういう終わり方をするか、予想はついていた。
しかし、絶望と不安のまま終わる小説も、もっとあってほしい。
光は、書き手が指し示すものではない。読み手が、書き手のいかなる絶望的な文からでも、そこから己のものとして得るものが、希望であってほしい。
めでたしめでたしの御伽噺に通ずるところのもの、それが「希望」であるにしても、だ。そればかりを偏重し、美徳とするかの如きの潮流には、ぼくは首を振る。
そもそもモノを書く、モノを云う時点で、希望はその発信の中に、既に内包されているのだから。