読み書き

本を読んで、血となり肉となるようなことがありました。ものを書いて、いろんな人との出逢いがありました。

つまり

宗教は、贖罪のための気休め。
人心をつかんで離さない、大きな役割を果たす。
慈善活動と呼ばれるものの、主体者にも、どこか心の動き、似たような気配がないでもない。
日常の些細な罪も、「祈る」こと、「善行」をすることで、気持ちが楽になる?
そのときの人の心とは?

さしあたり、神聖な装飾。
装飾に向かい、手を合わせる。または、ひざまづく。
「つくられたもの」と知りながら
神仏は目に見えぬから、祈る者の意のままだ。

私はAを傷つけ、Bを不幸にした
私はCからZまで、とにかく悪いことをした
私は、私は。
祈る者の意識下は「私が」が。
「この世界が平和でありますように」だって

私は、そう願います、だ。
まわりのことを、いくら思うつもりになったって
自分が楽になることが第一。至上の望み。

それをまことに自覚する者は、神に祈りなど捧げまい。
他者の、まして目に見えぬものを、自己に介入せず
AやB、CからZに対し、

自分が現実に何をどうするか、どうすべきか、どうすべきだったかを

自分で考えようとするだろう。
そこに、人間のまことの歩みがある、と
ニーチェは訴えたということだ。